レスリー・チャン(張国栄)の死の真実!本当は死にたくなんかなかった!

2019年3月12日

タンタン(唐鶴徳)に代わって事実を証言

記者:その後、これまでに取材を受けたことは?

チャン氏;ありません。「明報週刊」に話をしただけです。その後、しばらくは処理すべき事がたくさんあり、彼の家族に代わって処理すべきこともいろいろありました。タンさんも慰めなければならないし、彼に何が起きたのかも分からないので、新聞も雑誌も見ていませんでした。そんな心境ではなかったのです。でも、しばらくしてタンさんから、「ある晩、睡眠薬を飲んでもうろうとしている時、もう報道陣も帰っただろうと思ってドアを開けると、まだ大勢のパパラッチが家の前にいたが、何を話したかよく覚えていない」という話を聞きました。「今もまだレスリーを愛しているか?」と聞かれて「『まだ今も』じゃなく、ずっと愛している」と答えたらしいのですが、その後の報道の多くはタンさんに第三者がいたという内容でした。私の口から事実を話し、デタラメを書かせないでほしいとタンさんから頼まれたので、取材を受けることにしたのです。

記者:生前のレスリーとタンさんはスキャンダルをどう受け止めていましたか?

チャン氏:これまでどんなスキャンダルでも、どんな内容でも、彼らは事実を説明しようとなどとせず、相手にしませんでした。でも行動で事実を証明していたのです。ただ、今となってはもうそうするチャンスはありません。去っていったレスリーにとって不公平な状況です。タンさんに頼まれたのでメディアの取材を1つ受けることにしました。「明報週刊」の記者だけに話すことにしました。彼らなら事実を書いてくれると思ったので。

『熱情』コンサートへの悪質な報道がレスリーを傷つけた

記者:なぜレスリーは死を選んでしまったのだと思いますか? 疲れ切ってしまったためでしょうか?

チャン氏:レスリーはプライドが非常に高い人です。彼の病状を見たことがない人は、この1年、彼がどれほど苦しんできたか分からないでしょう。うつ病で苦しんでいる人に接したことがあるならば理解できるかもしれません。私もそれまで身近にそういう人がいませんでした。彼が病気になり、最初に私が付き添って病院に行った際、医師から多くの資料を見せられ、うつ病の患者に起こりうる状況などの説明も受けました。そこから徐々に理解し、多くのことを知っていったのです。彼がどれほどよくなりたいと思っていたか、恐らくあなたには想像がつかないでしょう。ずっと病院にかかりながら、自分がそんな病気になったという現実を受け入れられずにいたのです。彼は何でも持っていたし、好きな仕事を選ぶこともできた。なのに、そんな人物がうつ病になるなんて、考えられないでしょう? 他人の目から見たってあり得ません。

記者:レスリーのうつ病の具体的な原因を話してもらえますか?

チャン氏:もちろん原因はいろいろあって、長い年月の間に積み重ねられたものです。でも最大の原因はコンサートによって傷ついたことでしょう。彼は心を込めて周到にコンサートを準備し、結果もすばらしかった。なのに大きな打撃を受けました。私がツアー最後の会場を香港としたのは、彼を後押ししたかったからです。それまで彼のステージが理解できない者も多かったのですが、香港以外の地域のメディアはレベルが高く、パパラッチと違ってステージ全体の状況を丁寧に書いてくれました。香港のパパラッチの報道では当日歌ったナンバーや照明、音響などについては少しも書かれておらず、ただ長髪のことを書きたてたうえに、衣装の中が見えた写真を発表した。コンサート自体がおとしめられてしまったのです……。

記者:何でも手にしているレスリーが、こんな病気を患った原因は何でしょう?

チャン氏:コンサートに関する報道です。いろいろ気にしていましたが、自分の胸の中に秘めて口には出しませんでした。でも時間ができるとつい考えてしまう。恐らく、いろいろな屈辱が彼を病気にしたのだと思います。病気にかかっても、当初は自分でも気づいていませんでした。病気に特有の反応――手の震え、不眠、冷や汗などの症状が出始めてから病院に行きました。でも病院ではどの医師も体に問題はないと言います。彼は変だと思いました。肝臓も心臓も、どこにも問題はない、病気ではないのになぜ冷や汗が出るのか、なぜ眠れないのか、なぜこんな症状が出るのか。彼はずっと健康にはとても気を使っていて、タバコもそれほど吸わないし、お酒も飲まない、夜遊びもしない人でした。健康なのに、なぜ異常な症状が出るのか、私たちにも分かりませんでした。あらゆる検査で問題がなく、医師たちは口をそろえて「何も問題はない」と言うのです。

見ている者さえつらい発作の地獄の苦しみ、

記者:一番症状の重い時はどんな状況でしたか?

チャン氏:レスリーは精神科にかかることなど考えたこともありませんでしたが、症状がひどい時は見ているのがつらいほどでした。発作が起きると体中の筋肉が引き裂かれるように激しく痛むようで、ひどく痛がっていました。いろいろな症状のいろいろな段階が彼を苦しめ、それはまさに地獄の苦しみのようでした。それでも多くの仕事に行かなければならない。彼はどんなオファーも受けられなくなりました。彼自身はやりたいのですが、仕事に行ける保証がないからです。もし受けた仕事が発作のためにできなかったらどうしようと考えるからです。だから、最後の1年は彼にとって本当につらい1年でした。

記者:レスリーの1ファンとしては、あなたに彼の記念イベント、記念アルバムの制作、博物館の設立などを期待してしまいますが、なぜ、そういうことをなさらないのですか?

チャン氏:実際には考えるほど簡単ではありません。彼には家族がいます。でもそれほど近い関係ではない。はっきり言えば兄弟姉妹とは疎遠で、年に数回会うのみですが、それでも家族です。彼の名前を冠に置いた活動をするならば、家族の代表として、私よりもタンさんがふさわしいと思います。私も何かしたいと思いますが、私がやれば家族から誤解を受けるでしょう。レスリーの名前を利用して商売をすると皆が思うに違いありません。人に誤解させたくないのです。でも今、言われたようなことをタンさんやご家族が彼のためにやってくださることは、私も大いに望んでいます。むやみにあちこちでイベントを開くのではなく、正式なルートでファンが彼に会いにいける場所ができたらいいなと。ご理解頂けないかもしれませんが、今はまだタンさんもセンシティブな時期です。彼もやりたいことはいろいろあるのですが、今はまだ無理でしょう。彼は自分に視線が集まることを望んでいません。

レスリー・チャンはどこに埋葬されたか?

記者:レスリーのお骨はどこに埋葬されたのですか?

チャン氏:今は静かな場所に安置してあり、埋葬すべき適切な場所を捜しているところです。レスリーは生前、宗教や信仰に関わる場所に埋葬されたくないと言っていたのですが、そういう場所を探すのは難しいです。香港ではほとんど寺院に納めますが、それでは彼の希望に反します。香港の法律の規定では土葬もできますが、火葬後ではできません。なので、いろいろな点で納得できる場所は、まだ見つかっていません。タンさんもずっと探し続けています。彼に代わって、あれこれ話すことはしたくないので、あくまで私の考えとして話しています。彼らの同意なしに、彼らの話をすることはできません。

記者:タンさんの最近の状況は?

チャン氏:外に出かけたり、体を動かしたり、友人とスポーツや食事をするように勧めていますが、メディアが常に付きまとっているので、普通の人の日常生活ができずにいます。

記者:あなたはメディアに付きまとわれたことはありますか?

チャン氏:あります。ただ、追いかけられて「今の気持ちは?」などのつまらない質問をされた程度ですけど。

記者:今、ご自身はどんな状態ですか?

チャン氏:レスリーに会いたいです。(涙)独りになって、彼のことを思い出すと感情が抑えきれなくなります:(涙)

記者:チェンさんもご自愛ください。あまりにも完璧を求めるレスリーにとっては、この結論しかなかったのかもしれませんね。

チャン氏:彼自身もそう考えていたと思います。病気がいつよくなるのか、彼にも医者にも分からなかったのですから。彼はどんどん自分の状況をコントロールできなくなっていたので、公衆の面前で問題を起こして、メディアにあれこれ書きたてられることを何よりも恐れていました。それだけは起きてほしくないと願っていたので、この道を選んだのでしょう。(涙)でも、実際にはどんなに去り難かったか私には分かります。彼は死にたくなんかなかった。早くよくなりたいと一心に願っていたのです。「ワインを少しぐらいなら飲んでも問題ない」と医師に言われても、決して飲もうとはしませんでした。早くよくなりたかったからです。早くよくなるために些細なことにも、とても気をつかっていました。でも、どんどん悪くなってしまったんです。(涙)

参考サイト:http://yule.sohu.com/2004/04/01/53/article219695397.shtml


何とも切ない内容です。

うつ病という病気ゆえにネガティブな気持ちになりやすかったということはあるでしょう。「本当は死になくないけれど、最悪の結果を見るよりは…」という苦しい決断。決してそれがよかったとは思えませんが、それまで輝かしい道を歩んできたレスリーだからこそ、それしかないと思ってしまったのだろうなあ。そう考えると、ますます胸が痛みます。

24階という高さも確実に逝けることを考えたうえでのことでしょうし、チャン氏を入り口で待たせておいたのも、彼女ならすぐに自分だと気づいて最後の尊厳を守ってくれるだろうという信頼からでしょう。当初、うつ病で飛び降り自殺と聞いた時には精神状態が悪くなって衝動的に飛び降りたのかと思いましたが、苦しい中で考え抜いて出した結論だと思うと、ますますやるせないです。

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