レスリー・チャン(張国栄)の死の真実!本当は死にたくなんかなかった!

2019年3月12日


毎年、4月1日になると「ああ○○年前の今日、レスリー・チャンは…」と思う人は今も多いはず。2003年4月1日、レスリー・チャン(張国栄)は香港セントラルのマンダリン・オリエンタル・ホテルの24階から飛び降りという形で46歳の生涯を自らの手で終わらせました。

香港が生んだ大スター、レスリー・チャン自殺の報道はエイプリールフールの冗談であってほしいと皆が願った衝撃的なニュースでした。当時レスリーのマネジャーであり友人でもあったフローレンス・チャン(陳淑芬)女史は大きすぎる悲しみや事後処理に追われていたゆえに、多くを語りませんでした。しかし、レスリーが死という極端な道を選んだことは臆測を呼び「同性の恋人タンタン(唐唐)に若い愛人ができたことへの嫉妬」「うつ病」「最後の出演作品となったオカルト作品『カルマ(異度空間)』の世界に入り込みすぎて…」などさまざまな原因がまことしやかに報道されました。

そうした状況を受けて、2003年のレスリーの死から5か月後、チャン氏が正式なインタビューを受けて、レスリー・チャンの死の当日の様子、自殺の原因、タンタンとの関係など事実を語った内容です。

 

レスリー・チャン(張国栄)の最後の言葉「香港をよく見たい」

記者:チェンさん、絶対にあなたに悲しい思いをさせてしまうであろう質問です。レスリーがこの世を去った日の状況に関しては各紙が異なる報道をしています。2003年4月1日に何が起こったのか教えていただけますか。

チャン氏:あの日、レスリーは友人と食事の約束をしていました。私が電話するとタン(唐鶴徳)さんが電話に出ました。「レスリーはどこ?」と聞くと「出かけてる。夜7時に私とバドミントンをする約束をしている」と言われました。居場所を尋ねると、セントラルで友人とお茶を飲んでいるということだったので、「じゃ、電話してみる」と言って切りました。

記者:レスリーに電話したんですか?

チャン氏:私がいた湾仔のオフィスビルはセントラルから近いんです。電話してみましたが留守電だったので、「時間ができたら電話して」と伝言を残しました。人と会っていると聞いたので、しばらくかかってこないかと思っていましたが、意外なことにすぐにかかってきました。

記者:何と言っていましたか?

チャン氏:どこにいるか聞くと、まだセントラルにいるということでした。何をしているのかと聞くと、お茶を飲んでいる。「誰と?」と聞くと1人だということでした。お茶をするなら誘ってくれればいいのにと思い、今から行くと言うと、「もう出るから」と。どこに行くかと聞くとショッピングだと言うので、私も一緒に行くと言ったら、彼も同意しました。7時からはタンさんと約束していると聞いていたので時計を見るとあまり時間がなく、急いでセントラルに向かいました。

記者:その時、レスリーに何か異変はありませんでしたか?

チャン氏:電話を切ろうとした時、彼が「この機会に香港をよく見ておきたい」と言いました。私は何だか変だと思い、「香港をよく見てどうするの?」と聞き「まだ、そこにいる? いるなら行くから」と言うと「分かった。じゃあ来て」と言っていました。すぐにタクシーでセントラルのマンダリン・オリエンタル・ホテルに向かいましたが、ロビーに彼の姿はありません。それで、よく一緒におしゃべりしていたカフェに行き、レスリーはいないかと店員に聞きました。店員は、ここにはいないようだと言います。約束したのだから、必ずここにいるはずだと思い、辺りを捜しましたが姿は見当たりませんでした。

レスリー・チャン自殺の理由は恋敵への嫉妬ではない

記者:報道の中には、その日、レスリーはタンさんと他の男性が一緒にいるのを見て怒っていたというものがありましたが、そういう状況はなかった?

チャン氏:ありません。それはメディアが書いたデタラメです。あの日、タンさんはレスリーに会っていませんし、レスリーはホテルで私を待っていたのです。姿が見えないので電話をして、「ホテルに着いたけど、どこにいるの?」と聞くと、「ちょっと出かけたけど、すぐに戻るから、そこでお茶を飲んでいて」と言われました。でも30分待っても現れません。あとで考えれば、この時、彼は独りでいろいろなことを考えて、矛盾する思いが頭の中でぶつかり合っていたに違いありません。

記者:その後、どうやってホテルの前で衝撃的な場面を目にすることになるのですか?

チャン氏:40分ほど待つと彼から、「5分後にホテルの正面入り口で待ってて、すぐに行くから」と電話がありました。時計を見ると、じきに6時半でした。7時に約束が入っているので、もう時間はあまりありません。レスリーは自分の車で出かけていると思ったので、すぐに会計を済ませて外に出ました。ホテル入り口の前では停車できないからです。でも、待っていても彼は現れません。

記者:事件はその時、起こったのですか?

チャン氏:5分待った頃、大きな音が聞こえました。音がした方向を見ると、何かが地面に落ちていて、落下してきた物に冊が押しつぶされているのか見えました。人が倒れていて、そばにバスが止まっていたので交通事故だと思いました。すぐに戻ってホテルのボーイを呼んでくると、「人がはねられたから、すぐ救急車を呼んで」と頼みました。

記者:まだ地面に倒れているのがレスリーだとは分からなかったのですね?

チャン氏:そうです。レスリーはうつ病で苦しんでいる時なので、こんな場面を見たらショックを受けると思いました。ホテルの外へ走って行き、この状況が目に入らない場所で彼の車を止めようと思いました。まだ来ていないといいのに、渋滞などのせいで遅れていたらいいのにと思いながら、道の角まで行きましたが彼が通るはずもなかったのです。

記者:どうも様子がおかしいと、どのように気づいたのですか?

チャン氏:彼に電話しましたが、また留守電になっていたので、何か変だと思い始めました。ついさっき電話をくれたのに、なぜ電源を切っているのか? それに車で出かけたはずじゃないのか?電話に出ないのはおかしいので、またホテルに戻って事故の様子を見ました。近くまで寄る勇気はなかったのですが、まだボーイが救急車を呼んでいるところでした。

記者:報道されていた状況とはまるで違うのですね?

チャン氏:そうです。レスリーがタンさんを見た。しかも若い男と一緒だったなどデタラメです。レスリーは私と待ち合わせしていて、タンさんは現場にはいませんでした。その頃、タンさんはバドミントンをしていたのです。

それがレスリー・チャンだとは信じられなかった

記者:レスリーとタンさんの関係を話していただけますか?

チャン氏:彼らは20年以上の友人で、とても親しい仲でした。報道されているような嫉妬による確執などありません。タンさんの助手になる人は気の毒だと思います。タンさんの仕事を手伝っているだけで話題にされ、レスリーの恋敵だと断定されるのですから。馬鹿げていると思いませんか? だからといって辞めさせて、他の所で働かせるのも難しいでしょう。助手を雇っただけで恋人と見られるなんて、まったくくだらないです。しかも多くの記者は、それが事実無根であることを知っています。なのに世間の話題になるために、そういうことを故意に書きたてるのです。

記者:落ちてケガをしたのはレスリーだと知ったのは病院に行ってからですか?

チャン氏:そうです。病院に行って初めて知りました。とても信じられなかったし、信じたくありませんでしたが、ずっと嫌な予感がして不安でした。それで救急車の後を追って病院に行ったのです。病院に着くと職員に「今搬送された人はどこですか? 名前は何ですか? 私は彼の名前は知らないんですが、ひょっとすると友人かもしれないので」と訪ねると、その職員は私の顔を見ながら、「彼はレスリー・チャンじゃないですか?」と聞きました。その人は私が彼のマネジャーだと気づいてそう聞いたのです。その時、私は……(涙で話ができず)

記者:ケガをしたのがレスリーだと知って、どうしましたか?

チャン氏:最初に私のボディガードを呼び、メディアに写真を撮らせないよう、遺体を守りました。彼が最も嫌がることですから。たくさんの人から本を書けとか、インタビューさせてくれとか言われましたが承諾しませんでした。私には書くことなどありません。ただ、他の人にもデタラメを書いてほしくないのです。

レスリー・チャンの遺書は弁護士に預けられていた

記者:レスリーの遺書に関しては、報道に複数のバージョンがありますが、ここでハッキリさせていただけますか?

チャン氏:彼は飛び降りる前には遺書など書いていません。遺書はもっと早くから用意して弁護士に預けてありました。

記者:なぜ遺書を用意しておいたのでしょう?

チャン氏:この1年、ひどく病気に苦しめられてきたために書いたのです。

記者:当時の病状はどうだったのですか?

チャン氏:レスリーはうつ病でした。自分の精神状態を制御できなくなる病気で、時には手足さえ思うように動かせなくなる。だから、とても苦しんでいました。病院に行くことも恐れていたのです。人に頼んで薬を取りに行ってもらっていた状況を、精神科にかかっていると報道されました。プライドの高い彼がこんなふうに書かれることを許せると思いますか? しかもデタラメを適当に書かれる。当時はこういう事情も彼にとってはネガティブな刺激になりました。

記者:あらかじめ用意されていた遺書の内容は?

チャン氏:万が一のことがあった時のために書かれたもののようです。現代では遺書を書いておくのは、わりと当たり前のことですから。内容は自分がいなくなった時に頼んでおきたいことと、何人かの人への感謝などです。

記者:飛び降りる前の現場には何も残していなかったのですか?

チャン氏:メモが1枚あって、何人かの人への感謝と彼が病気であることが書かれていました。でも、それは決して遺書ではありません。

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