習近平首席はバツイチだった!彭麗媛夫人以外の女たち~初恋の人から前妻・愛人まで!

中国国家主席習近平(しゅうきんぺい)氏の奥様と言えば、中国のファーストレディ彭麗媛(ほうれいえん)さん。
2019年6月、大阪G20での来日で日本でもすっかり有名になりました。

国家主席の第一夫人にふさわしい気品と美貌を持った人ですが、実は習近平首席の最初の夫人ではありません。
前妻は柯玲玲(かれいれい)さん。
この結婚生活はわずか3年で終わっています。
初恋の恋人、元カノから前妻、スキャンダルの相手・夢雪(むせつ)さんまでの赤い皇帝の艶話をご紹介しましょう。

 

習近平の初恋の恋人・小紅(しょうこう)1969

時は1960年代,中国では文化大革命が真っ盛りの頃、16歳の青年習近平は父の習仲勲氏が政治批判を受けて勾留され、その息子である周氏も反動学生として陝西省延安に下放されていた時のことです。
下放というのは政治的、思想的に問題がある人物を地方に送って労働させる当時の政策でした。

お相手の小紅さんは解放軍軍事科学院の軍官を父親に持つ一種の赤い貴族。
1969年の春節(旧正月)現地では北京から来た知識青年を歓迎する会が開かれました。
小紅は出し物との1つして他の如姓と一緒にチベット族の舞踊を披露。
その艶姿に若き日の習近平首席はやられてしまったようです。

会がお開きとなった後、知識青年たちは彼女を家まで送る途中でちょっとした芝居を打ちました。
他の青年がお化けのふりで彼女を脅かし、青年習近平がこれを助ける英雄を演じることで見事小紅のハートをゲット。
2人は恋仲となったようです。

しかし、この関係はわずか3か月で終わりました。
父親が反動分子ということで地方の官僚が青年習近平を蔑視する姿勢や厳しい労働でこき使われるのが不満で、青年習近平はさっさと北京に帰ってしまったとのこと。

小紅は北京まで彼に会いに行ったものの面会を禁じられ、差し入れだけを残して帰郷。
半年後、青年習近平は再度陝西省に送り込まれますが、すでに小紅への情熱は冷めていたようです。
1977年、青年習近平が精華大学に在学中、2人は北京でばったり再会しますが、その時には小紅はすでに軍官の妻となっていて、世間一般の挨拶をして別れたとのこと。

わずか3か月の恋。
都のお坊ちゃまが田舎に送られて、不満タラタラの状態で鄙にはまれな美女に出会い、思わず手が出たといったところでしょうか。
まあ。初恋というのは実らないほうが美しい思い出でいいのかもしれません。

 

最初の妻・柯玲玲(かれいれい)1979~1982

習近平首席の最初の妻、柯玲玲(かれいれい)さんは、元中国在英国大使・柯華氏の息女。
習近平首席より2つ年上の姐さん女房でした。
わずか3年で終わった結婚生活は、2人の価値観や生活習慣がまるで違い、ほとんど毎日ケンカが絶えなかったそうです。

もともと大使の娘としてイギリスで暮らしていた柯玲玲さんはイギリスに移住したいと思っていたようです。
しかし習近平氏は断固として首を縦に振らず、結局離婚に至ったとのこと。

生活習慣の違いがどんなものだったかの情報は見つかりませんでしたが、毎日一緒に暮らすとなると、風呂の入り方とか箸の上げ下げとか、つまんないことが結構気になるものではありますよね。

英国『僑報』によると当時、習近平氏は県の共産党委員会書記選に出馬していたために、移民をよしとせず、さらに「西洋での華やかな生活への未練だ」と柯玲玲さんを批判。
柯さんの再三の説得も効果なく、それぞれの道を行くことにしたそうです。

後に柯玲玲さんは取材を受けた際に、以下のように回想しています。

「当時、離婚は大変なことでした。
私と習近平氏との結婚生活が短く終わったことの一番の原因は、私たちの間にほとんど共通点がなかったことです。
彼は非常に執着する人で『大事業を成し遂げたい』と考えていました。
何にしろ私の話など聞く耳を持たなかったので、離婚を選んだんです。
イギリスと中国という距離を挟んで現実的な結婚生活や夫婦としての愛情を保つのは不可能でした」

「私がイギリスに行ってから3年の間、彼はほとんど毎週電話をくれました。
当時の中国では、まだ電話が普及していなかったので、あの頃中国からイギリスに国際電話をするのは面倒でした。
でも、私は一度も電話に出ませんでした。
これはかなり彼を傷つけたと思います。
彼がやり直したいと思っていることは分かりましたが、私は心を鬼にしました。
その内に彼から連絡もなくなりましたが、彼の心に私への思いがあることは分かっていました」

「彼は理想を持っていました。
彼に潜在的な能力があることは私も認めていましたが、私にとって、その能力は何の役にも立たないものでした」

「彼は理想主義者ではありません。
物事は計画的に段階を追って実行する人です。
私はたぶん理想主義者なのでしょう。
女性はロマンチックな男性を好むものですよね。
でも習近平は違いました。いろいろな面で紋切り型で融通がきかなさすぎると思いました。
お互いが育った環境や教育に関係があると思います」

「彼が国家副主席の頃、新鮮で一度会いました。
姉や父と深圳の墓参りに戻った時のことです。
彼は深圳へ視察に来ていて、父に会いに来てくれたのです。
彼は私も含めて家族全員と握手しましたが、非情に気まずい場面でした。
30分ほど座って話をしましたが、随分老けたなと思いました」

うーん、あくまで女性側の一方的な言葉なんですが、ちょっと盛ってる?
3年間、毎週電話してきて一度も電話に出ない?
それでもかけてきたと?
さすがに連絡は途絶えたけど、それでも私を想っていたと?
本当なら融通は利かないし、ロマンチックじゃないけど、未練がましいタイプなんですね。

 

赤い皇帝の愛人? 夢雪(むせつ)1991年~

最後にご紹介するのは、最もスキャンダラスな人物・夢雪さん(本名:馬鑫ばきん)さん。

習近平政権は官僚の汚職撲滅に力を入れていて、自身も街の食堂で質素な食事を取る姿や特権を行使しない姿勢をアピールして「酒も女もやりません!」的なイメージを押し出していますが、やはり「英雄色を好む」の伝統は現代の赤い皇帝にも受け継がれているのかもしれません。

夢雪さんは中国東北部出身で1989年当時は瀋陽人民ラジオ局でアナウンサーをしていました。1991年に福建に移ってからは彼女が担当する番組が次々と賞を取り、1997年にはテレビで自分の名前を冠したインタビュー番組『夢雪時間』を持つことに。
司会者の名前を付けた冠番組は福建省では初めてのことだったそうです。
またディレクターや番組企画、プロデューサーとしても活躍し、全国アナウンサー大会での受賞も。

スキャンダルがあったのは習近平氏が福州市党委員会書記をしていた時代。
習近平氏は1990年に福建省福州市党委員会書記に就任してから2002年まで福建省委員会常任委員、福建省委員会副書記などを歴任しています。

不思議なことにこれだけ賞を取って冠番組も持っているアナウンサーなのに、瀋陽出身というだけで、中国の有名人なら必ず話題になる家庭背景や出身校などがまったく明らかにされていません。

そして,そんな彼女が福建に居を移した途端に大躍進を遂げた。
中国社会で、この状況はかなりの大物の後ろ盾がついているとしか考えられないわけですよ。

習近平市と彭麗媛夫人は1987年に結婚しています。
しかし1991年当時はまだ歌手として国内各地や海外での公演が多く、留守がちでした。
そして、その間に習近平氏と夢雪さんはいい仲になったと言われています。
1991年末頃、彭麗媛夫人が急に福州の家に戻った際、2人が同衾している場面を現行犯で抑えたとか。
そしてその後、習近平氏と彭麗媛夫人は長い間、別居生活を送っていたとも言われています。

 


 

初恋の話は中国映画にありそうで、まあ、そんなこともあったのでしょう。
これは別にスキャンダルでもなんでもありません。

前妻の話は今どき離婚ぐらいたいしたことではありませんが、柯玲玲さんの話だけを信じれば指導者としては、ちょっとかっこ悪いかなという気はしますね。

最後の話はいわゆる不倫です。
かつて『SAPIO』に「福州時代の愛人は2人や3人じゃない」という話も載っていました。
「不倫」というと一気にスキャンダルの様相を帯びますが、歴史的にお金持ちの家では正妻の他に何人も側室を置くのが当然だった中国としては「不倫は伝統文化」と言ってもいいのかもしれません。

『習近平の6人の愛人』という発禁本には、上記の3人を含めて6人の女性との関係が描かれているそうです。
それによると監獄に入ったこともある女優の劉暁慶や、なんと天安門事件の女性リーダーだった柴玲とも関係があったとか。
そして政府に指名手配されていた柴玲を香港に逃がしたのも習近平だとか。
これらの話の信憑姓は怪しいですが、もし事実だとしたら、あの柴玲を逃がしたなんて、これは不倫どころではない人間として最低のクズのクズのクズですね。

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