ジャッキー・チェンは中国共産党の犬?政府批判や父親は国民党の黒歴史も!
2019年6月12日、「X JAPAN」のYOSHIKIがジャッキー・チェン(成龍)と食事をしている写真を自身のSNSに掲載して大炎上。
6月14日、海外のファンに向けた謝罪文をTwitterに掲載して話題となりました。
「逃亡犯条例」改正反対で大規模なデモが国際的にも話題になっていて、このままエスカレートすれば天安門事件のような悲劇が起こるのではという声もあった中、大陸の共産党体制にべったりのジャッキー・チェンと親しくしていることへの反発が原因でした。
恐らく多くの日本人は「ジャッキー・チェンと食事して、なぜいけないの?」と思ったのではないでしょうか。私の友人も「香港が大変な時に優雅に食事なんかしてってこと?」と言っていましたが、ジャッキー・チェンは知る人ぞ知る中国共産党の犬であり広告塔。
この時期に、その人物と食事をしていることを大っぴらに示してしまったことで「お前も中国政府の支持者だという表明か?」と怒りがぶつけられたわけです。
天安門事件の際にはジャッキー・チェンも政府を批判していた!
「逃亡犯条例」改正反対のデモでは報道でも1989年に起きた天安門事件が想起されていました。天安門事件は北京で起こった学生たちによる民主化運動でした。
天安門事件での対応も含めて、1997年の香港中国返還以前の香港芸能人たちは、ほとんど中国共産党の体制に反対していたといってもいいでしょう。
1989年、天安門事件の際にはテレサ・テンは香港で行われた民主化デモ弾圧に対する抗議集会に参加し、民主化の実現を訴えました。そして1997年の返還を前にフランスへ移住しています。
翌年1990年にはテレサ・テンが夢見ていた両親の故郷である中国大陸でのコンサートが予定されていましたが、当然ながらこれは中止に。
民主化を支持すれば、そうなることは分かっていながら、国家と民衆の未来のために集会に参加したのです。
天安門事件が起きた1989年6月4日の1週間前5月28日、香港の芸能界では「民主の歌声を中華に捧げる」というチャリティー・イベントが行われ、香港や台湾、海外の多くのアーティストが参加し中国学生の民主運動を支援。
12時間で1300万香港ドルの義援金を集めました。
「全香港芸能界は北京の学生運動を支持する」と白地に赤で書かれた横断幕がかけられたステージでは多くのスターが歌を披露し、また電話やビデオ映像で声援を送りました。
テレサ・テンはもちろん、アニタ・ユン(梅艷芳)、ジャッキー・チュン(張学友)、チー・チン(斉秦)、BEYOND、エミール・チョウ(周華健)、ビビアン・チョウ(周慧敏)、ダニー・チャン(陳百強)、アンディ・ラウ(劉徳華)、ジョージ・ラム(林子祥)をはじめ、そうそうたるメンバーが集まったのですが、その中にはジャッキー・チェン(成龍)もいました。
そして、ジャッキー・チェンは7番目のステージで『豪情』を歌い、ラストから2番目の『朋友』の合掌をリードしています。また、「中国人が中国人を攻撃した」として中国政府の弾圧を恥ずべきことだと痛烈に批判していました。
今では「共産党の犬」と言われるようになった彼ですが、そんな時代もあったのです。
そんな時代があったからよけいに「犬」とも言えますね。
博鰲(ボアオ)フォーラムでの仰天発言
2009年、ジャッキー・チェンは政財界のトップが集まる「博鰲(ボアオ)アジアフォーラム」で「クリエイティブアジア」というテーマのフォーラムに出席し、海外メディアから文化の自由に関する問題を聞かれた際に、
「自由があるのがいいのか、自由がないほうがいいのか、今ではよく分からなくなっている。
自由すぎると台湾や香港のようにひどく混乱する。だから、中国人は管理されるべきだとだんだん思うようになった」
と驚くべき発言をしました。
「だんだん、そう思うようになった」というのは、「自分はすでに思想改造しました!」というアピール?
これを聞いて台湾人、そして特に香港人が怒らないはずはありません。
台湾の記者に「台湾のどこが混乱しているのか?」と質問されると、主に政治方面として「今は随分落ち着いたけどね」とお茶を濁していたとか。
当時、ジャッキー・チェンは香港の観光大使を務めていました。
それが、「香港はダメだ」みたいな発言をしたこともあって、香港の民衆は大激怒。
「体制の犬」「共産党の奴隷」「香港の恥」と罵られる身に。
「香港映画などない。あるのは中国映画だけだ」
またジャッキー・チェンは2013年に香港地区の全国政治協商会議委員に選ばれていますが、2018年3月、全国人民代表大会・中国人民政治協商会議の期間に「香港映画の発展について」取材された際に、
「香港映画などない。あるのはただ1つ、中国映画だけだ」
と答えて香港映画界の大ひんしゅくを買っています。
アンソニー・ウォン(黄秋生)は同年4月の香港映画際の授賞式で、その話題に触れ、「ある政治委員が北京で声高に『香港映画などない。あるのはただ1つ、中国映画だけだ』と言っていた。そいつは今晩、この香港映画祭授賞式にも出席してるけど、彼は中国映画代表なのかな、それとも香港映画?」と言って会場を凍り付かせたとか。
また、この時はルイス・クー(古天楽)が受賞の喜びを述べた際にも、先の言葉を意識したと思われる「我々香港人が、どうやって我々の香港映画を作るか」という問題を提起しています。
寝返ったのはジャッキー・チェンだけではない
もちろん誰しも食べていかなければならないし、“寄らば大樹の陰”の道を選ぶのは人間の本能といってもいいでしょう。
体制派に寝返った香港芸能人はジャッキー・チェンだけではありません。
エリック・ツァン(曾志偉)も「民主の歌声を中華に捧げる」に参加していたメンバーですが、今ではすっかり体制派。
尖閣諸島問題で揺れた2012年には『金田一少年の事件簿』を降板し、東日本震災後に旅行番組に出演して、復興に一役買ったとして日本から送られる予定だった感謝状も辞退。
親日派の過去を払拭することでも共産党を支持しています。
2014年に起きた香港反政府デモ、雨傘運動でもジャッキー・チェンとエリック・ツァンは学生たちを批判する立場でした。
また建国70周年記念の際に撮影された香港の民衆が中国国家を歌うプロパガンダMVにも出演。
この動画にはアラン・タムも出演しています。
彼も天安門事件では政府を批判していた芸能人です。
しかしこのMV、わりとやる気なさげに歌っている人が多いのが妙に印象的です。
ジャッキー・チェンの父親は国民党員だった!
中国大陸で活躍したい、もっと仕事を獲得したいと思っている中華圏の芸能人にとって、天安門事件での政府批判は間違いなく黒歴史です。
しかし、ジャッキー・チェンにはこれ以外にも、ある意味黒歴史があります。
それは中国大陸では重大な問題、出身の問題。
ジャッキー・チェン(成龍)は芸名ですが、本来彼の本名は房仕龍といいます。
父親の房道龍はもともと中国安徽省蕪湖市鳩江区の人。
武術ができたため顧祝同という中華民国軍人の護衛を務めた後、顧祝同の紹介で国民政府軍当局局長の戴笠の下で諜報活動などをする特務となりました。
諜報活動、スパイ活動などをする要員ですね。
特務という職業柄身分を隠す必要があり、陳志平に改名。その後、銃の暴発事故で軍職を解かれてます。
またジャッキー・チェンの母親は阿片の運び屋をしていたそうで、当時税関で母親を捕まえた父親が情けをかけて見逃したのが縁で結ばれたとか。
特務を解任されてからは南京で亜麻布の売買を始め、繁盛していたようです。
その後、国共内戦に伴って夫婦で香港に渡り、アメリカ領事館でコックやハウスキーパーとして働いていました。
生まれた息子(ジャッキー・チェン)の本名は房仕龍ですが、陳港生を名乗っていました。
陳港生が6歳半になるとアメリカ領事はオーストラリア大使に昇格。
陳夫婦もオーストラリアへ同行することになります。
しかし子供は同行不可ということで、陳港生は寮で生活しながら学ぶ京劇学校へ。
17歳で学校を離れ、役者として1人立ちする際には陳元龍と改名。
その後、さらに成龍に改名して『スネーキーモンキー蛇拳』や『酔拳』が大ヒットし、ハリウッドにも進出して国際的なスターとなります。
父親が特務であったことを明かされたのは2001年のことだったそうです。
こういう大陸においては黒歴史になりうる出自を持つからこそ、中国共産党政府に忠誠を誓うことにやっきになったのかもしれません。
ジャッキー・チェンは中国共産党の広告塔
天安門事件で政府を批判し、母は大麻の運び人、父親が国民党の特務だった芸能人となれば、共産党政府にとっては眉をひそめたくなる存在。
しかし今ではすっかり体制派となれば話は別です。
父親のエピソードはジャッキー・チェン自身が中国国営放送のインタビュー番組に出演した際に話しています。
このあたりのお膳立ては党の指導が会ったのではと勘ぐってしまいます。
社会主義は思想改造後の使える人物には寛容ですよね。
ジャッキー・チェンほどの知名度があれば広告塔として活躍してくれるし、かつて批判していたが党の理念に目覚めたというスタンスもかえって望ましいわけです。
彼は最近でこそスケベおやじとか、つまみ食いでできた子供を認知しないクズとか、共産党の犬というイメージですが、かつては慈善にもたくさんお金を使う明るい正義の味方のイメージでした。
なんだかんだ言っても純粋に彼のカンフー映画の信奉者は存在するし、やはり大スターですからプロパガンダ映像に出て、
「中国最高、愛国精神バンザイ!」などとアピールすれば、盲目的に受け入れる人もたくさんいるはずです。
2014年に息子のジェイシー・チャンが麻薬事件を起こした際にも、8月に麻薬を使っているところを見つかって、12月3日から勾留されて懲役6か月と罰金2000元を申し渡されたものの、2月13日には刑期を終えたとしてスピード釈放されたのもパパの力だと言われています。
2000元って当時だったら4万円足らず。
当然、中華圏でも「刑が軽すぎる」と批判の声が出ていました。
もちろんお金持ちのジャッキーによる付け届けはもちろんのことでしょうが、共産党にとっての彼自身の価値が物を言ったことは確かだと思います。
ジャッキー・チェン自身も娘を認知しない問題やマネーロンダリング、マフィアとのつながり、女性問題などスキャンダルが多いので、あまり偉そうなことは言えない身分ですが、それでも全国政治協商会議委員になれるし、麻薬犯罪の罪も軽くできる。
これもひとえにたくさんお金も使い、コネを作り上げ、香港で気づいた信頼を打ち捨てて、中国共産党に貢献したたまものなわけですよ。
YOSHIKIの謝罪事件は日本人にはピンとこなかったかもしれませんが、批判が殺到したのは、ジャッキー・チェンが普段から共産党体勢べったりであることに加えて、6月12日に台湾で香港での抗議活動に対してインタビューされた際に、「大きなデモがあったことは昨日知ったけど、詳しい事情は知らない」と答えていることもあるでしょう。
「香港人として、それはないだろう」と日本人のわたしだって思いましたから。
でもYOSHIKIはたぶん、そんなことは考えず個人的な知人として食事をしただけなのだと思います。
人の生き方はさまざまなので、それぞれ絶対に守りたいもの、どうしても譲れないものは違います。
誰もが自分が求める人生を送るために必死なので、安易に批判はできません。
でも個人的には香港映画の黄金時代を思うと残念な気持ちです。
香港を代表する人物だったのにね。
だからこそ、中国共産党は大歓迎なんですわね。
中国大陸でで活躍したい方、中国共産党とお近づきになりたい方はジャッキー・チェンとお近づきになるといいことがあるかもしれませんね。