ウォン・カークイは自分の死を予知していた?歌詞や生前の行動に死の予兆?

1993年6月30日16時15分。日本で当時の人気番組フジテレビの『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』収録中に事故で転落死したウォン・カークイ(黄家駒)。

世間にとっては予想もしなかった悲劇でしたが、ウォン・カークイは日本で死の前に自分の死を知っていたのではないかと思われるような行動をしていました。

自分が倒れて死ぬことを想定しているようだと言われる「海闊天空」をはじめとする歌詞、彼の人生を預言しているようだと言われる心魔之旅』のMV、メンバーのスティーブ・ウォン(黄家強)やポール・ウォン(黄貫中)が証言する死の前の不可解な行動などを見てみましょう。

 

ウォン・カークイは死の前に占いで死を確信していた?

メンバーでありウォン・カークイの弟でもあるスティーブ・ウォン(黄家強)がある取材で話したところによると、ウォン・カークイは亡くなる数か月前、日本で占いを見てもらいに行ったそうです。
そのことを他のメンバーから聞いたスティーブがカークイに「いくつまで生きられるって?」と聞くと答えようとしない。しつこく聞くとようやく「50歳か60歳ぐらい」と答えたとのこと。

50,60なら現代としては短命ではあるものの、当時30代のカークイにとっては答えに窮するほど違い未来でもありません。それに遊び半分で見てもらった占いなら、そこまで信じるでしょうか。

そもそも占いに行こうと思う以前に、彼が自分の近い将来に起こる深刻な何かを感じていた。だから、それを確かめに行った。占いでそれが事実となる確信が高まった。だから、その内容を話せず、適当な年齢を答えてお茶を濁したのではとも考えられます。

 

ウォン・カークイはポール・ウォンにギターを譲ろうとしていた

ギタリストにとってギターは命。
しかし生前、ウォン・カークイはそのギターを全部メンバーのポール・ウォン(黄貫中)に譲ろうとしていました。
以下の動画でポール・ウォンが、その詳細を語っています。

ポール:(こういうことを話すのは)大げさすぎるし、口にすれば心霊番組みたいになるのであまり話さないのですが、少しだけ例を挙げましょう。
亡くなる1週間前、みんなで集まった時、ウォン・カークイが急に言ったんです。
「ポール、僕のこいつら全部お前に売ってやるよ」と。

その時の私の気分は、今のあなたと同じだと思います。
ギターやアンプまで私に売ると言ったんですよ。
人の最初の反応は本当的なものだと思うんですが、私の最初の反応は
「いらない。自分のがあるのに、お前の物を譲ってもらう必要ない。俺のはいい音だし、いらないよ」でした。
でも彼は「そう言うな。全部売ってやるよ」と言うんです。おかしいでしょう?

ギタリストにとって、彼にとって楽器は命も同然です。生きる術です。
それを全部私に売るというなんて。
その後も「持っていけよ」とまで言っていました。
「ダメだ、いらない」と強い抵抗を覚えたのは私の最初の反応でした。
でも考えてみると理由があるのかなと。
妙なことですが、人生で往々にしてあるように彼は自分では何かを感じていたのでしょう。

ある日、カークイがこんなことも言いました。
日本では退屈なのでメンバーは、それぞれ自分の時間の過ごし方を持っていました。私のように家で映画のビデオを見まくったりね。
彼が言ったんです
「最近、家で練習してることがあるんだ」
「何の練習?」
「高い場所から飛び降りて、ちゃんと着地するんだ」

司会者:なぜ、そんな練習を?

ポール:私も聞きました。
「お前は、そんなこと練習するような人間じゃないだろ。
武術家やスタントマンでもあるまいし、なんで、そんな練習してるんだ?」と。
意味が分かりませんでした。
でもカークイは「何度もソファーの上から飛び降りる練習をして、うまく着地できるとすごくうれしいんだ」と言っていました。

その時は意味が分からず、そんなことをするならギターの練習をすればいいのにと思っていました。
その時には全く分かりませんでした。


こちらは01:48頃からのスティーブ・ウォンの証言です。

スティーブ:あの時、もう運命は決まっていたに思います。カークイは自分で何かを感じていたんだと。

司会者:自分で感じていた?

スティーブ:彼は自分で何かを感じていたんではないかと思っています。
例えば私がしょっちゅう会っていた一般人のとても親しい友人がいるのですが、カークイは亡くなる前、その人に「弟のことが心配だ」と話していたのです。
ずっとそばにいるなら、そんなことは言わないはずです。
自分がいなくなると思うから言う話でしょう?
亡くなる前の頃には、話すことがとても妙でした。

司会者:普段とは違ったと?

ポール:言いおくようなニュアンスの話をいくつもしていました。
どう言っていいか分からないけど、彼は何かを感じていたんだと思います。

 

「海闊天空」の歌詞に死の予兆?

『海闊天空』はBEYONDのナンバーのうち、最もよく知られ、最も愛されている名曲と言っていいでしょう。
『遙かなる夢に~Far away~』の名前で日本語バージョンもリリースされているこの曲は、ウォン・カークイ作詞作曲。
今でも香港では民主化を求める反政府運動などでは必ず歌われる歌で、中華圏のアンダーグラウンドの国家などとも目されている曲です。

曲が作られたのは、1993年。その5月に香港でリリースしたアルバム『楽与怒』に収録されたこの曲はウォン・カークイの遺作といってもいいでしょう。
まず歌詞をご覧ください。

今日、僕は寒い夜更けに舞い散る雪を見ている
冷えきった心を抱き遙か彼方をさすらい
雨や風に打たれながら霧で曖昧になった陰を追い続ける
果てしない空と海の間で君も僕も変わってしまうのだろう
(変わらぬ者などいるだろうか)

冷たい視線や嘲笑に何度さらされても
胸に秘めた理想を諦めたことはない
ふとした瞬間に失ったかのように感じるなら
気づかぬうちに愛は薄れていったのかもしれない
(誰が僕を分かってくれるだろう)

なにものにも捕らわれず自由を愛する僕の生涯を許してくれ
いつかつまづき倒れて理想を捨てる日が来るかもしれない
理想を捨てることなら誰にだってできる
たとえ君と2人きりになっても僕は自由を追い続ける

自分の心のままに永遠に自分の歌を歌い
どこまでも歩き続けるんだ

一生 なにものにも捕らわれず自由を愛する僕を許してくれ
いつかつまづき倒れて理想を捨てる日が来るかもしれない
理想を捨てることなら誰にだってできる
たとえ君と2人きりになっても僕は自由を追い続ける


海闊天空

そもそもこの歌は「香港に音楽界はない」と言い切って、自分のやりたい音楽をやるために日本にやってきたウォン・カークイの心情をそのまま表したとも取れるのですが、自分が倒れることを予感していたかのようだという声があります。

「一生 なにものにも捕らわれず自由を愛する僕を許してくれ(原文:原谅我这一生不羁放纵爱自由,也会怕有一天会跌倒)」の一文はあとに「いつか倒れる日が来ても」があるので、現状の訳とも取れるのですが、歌詞や中国語の解釈には幅があり「一生、なにものにも捕らわれず自由を愛してきた僕を許してくれ」と人生が終わったかのようにとることもできます。

別の曲『無尽空虚』でも「望んだ愛はなぜ生涯、常に触れることができないのか(原文:期待的愛、為何一生総不可碰到)」は、「いままでそうだったように一生このままなのか」という歌詞とも取れますが、自分の人生を終えようとする時に生涯を振り返るニュアンスとも取れます。

他の曲の歌詞にも死の予感を感じさせる部分がいくつもあると言われています。
香港にいる恋人に寄せて日本で書いた曲だと言われている『情人』の、「僕が離れていく恐怖が、もう君から消えたことを願っている(原文:盼望你現已沒有讓我別去的恐懼)」

『戦勝心魔』の「真実を知るならば、人の世の運命は暗に定められている(但明道理 冥冥中左右命途)」 、「この世は人をもてあそび、それぞれの決断は気づかぬうちに死を招く(世界弄人 不知不覺每個決定可致命)」などなど。

ちなみに上記のように言われていますが、『戦勝心魔』はウォン・カークイ作曲ですが、作詞は別の人です。
歌詞に「死」「運命」や悲劇的なモチーフを使うのは特別なことではないと思いますが、ウォン・カークイの運命を振り返ると不思議な合致とは言えるでしょう。

 

BEYOND『心魔之旅』は死を預言していた?

またBEYONDのMV『心魔之旅』もウォン・カークイの死を預言しているような作品だと言われています。
『心魔之旅』は「灰色軌跡」「戦勝心魔」の2曲からなるストーリー性のあるMVです。
2曲とも作曲はウォン・カークイですが、歌詞はBEYONDのメンバーの手によるものではありません。

冒頭は供養の紙銭をまきながら墓地に向かう葬送の列、中国式の弔いのシルエットから始まり、一行の後に続く3人は花束やギター、遺品の箱を持ったウォン・カークイ以外のメンバー。
3人の道行きを背景に紙銭を燃やす老人が映し出されます。

老人を演じているのはウォン・カークイ。
その後、白い衣の女性が登場し、老人が供養しているのは女性であるようなニュアンスを感じます。

曲が「戦勝心魔」になると赤い衣の女性が登場。
彼女が心魔、あるいは心魔が起きる原因であることを象徴しているようです。
若き日のウォン・カークイはその姿に心を奪われそうになるものの、結局ギターを手に取り、自分の意思に従って音楽の道を貫くかのような暗示的な場面が続きます。

しかし、その次の場面ではウォン・カークイはギターを大地に突き立て、背中を向けて去っていく。
ラストは、また老人が紙の銭を燃やす場面に。

最初、老人が若き日に出会った女性を供養しているかのように感じられます。
でも最後まで見ると、青年が心の魔に惑わされることなく自分の理想とする音楽の道を選んだものの、結局、ギターを手放し去っていくことになった。
その青年をウォン・カークイ自身が振り返って弔っているように見えます。

大地に突き立てたギターはギタリストである彼の墓標のごとく、オープニングは3人のメンバーがウォン・カークイを見送ることになった現実を預言しているようでもあります。

ロックなので「理想を追い求め、いずれ夢を実現して万々歳!」というような大団円を選ばないのは何となく分かります。
若き日の挫折、それにも負けず、傷だらけになっても追い続ける理想というのはロックに似つかわしいモチーフです。
しかし、ギターを老いて去っていくのは、どういうこと?
なぜ、こんな縁起でもない映像を作ったのか。
これも後から見れば、不思議な一致です。


 

作品の中に現れる死のモチーフは単なる偶然と言ってしまえばそれまでですが、メンバーが語るエピソードは何ともリアルで、死の陰におびえながらも異郷で奮闘していたと考えるとせつないものがありますね。

ウォン・カークイが自分の死を知っていたとしても、今さら何ができるわけでもありません。
ウォン・カークイの早すぎる死は彼にとってもBEYONDにとっても、ファンにとっても不幸な出来事で、彼自身も無念だったとは思いますが、すでに人々の心に残る音楽を残していたことを考えると、ミュージシャンとしては幸せな人生だったと言えるかもしれません。

アーティストは作品を残すことで、本人が死んでも、たとえその人自身を知らなくとも感動を与え続けることができるのはうらやましいなとよく思います。
特に音楽、それも歌は歌い継ぐという形で他の物質的な作品よりも広がりやすいですよね。
BEYONDの、ウォン・カークイの曲がずっと歌い継がれることを願っています。

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