ホアン・シュアンのプロフィール!ドラマや映画に恵まれない不遇の日々は趣味の旅行と書道で精神性を養ってきた!

中華圏で今をときめく若手俳優ホアン・シュアン(黄軒)。

中国ではここ数年“小鮮肉”と呼ばれる、少女漫画的な顔の若いだけが取り柄のような男性俳優がもてはやされてきましたが、やっと本物が愛される時代が来たかという感ありです。

実力はありながらも、長い間、役に恵まれなかったホアン・シュアンですが、最近はやっと話題の人に。

チャン・イーモウ(張芸謀)の『グレートウォール』、フォン・シャオガン(馮小剛)監督の『芳華』やチェン・カイコー(陳凱歌)の映画『空海-KU-KAI-美しき王妃の謎』など巨匠の作品で存在感を表し、日本でも知名度を上げつつあります。

巨匠の作品だから名作とは限らないのが残念なところですけどね。

そんなホアン・シュアンが世に出るまでのお話を調べてみました。

 

ホアン・シュアンのプロフィール

氏名:黄軒

民族:漢族

血液型:B型

生年月日:1985年3月3日

出身地:甘粛省蘭州市

身 高:177cm

体 重:60kg

 

両親の離婚ですさんだ少年時代

 


若き日のホアン・シュアン

シルクロードで知られる甘粛省蘭州市で生まれたホアン・シュアン。

小学校を卒業した頃両親が離婚して父の黄雁平(ホアン・イエンピン)氏は北京で働くために蘭州を離れ、母に引き取られた

ホアン・シュアンは広州に引っ越します。

仕事がある母親に変わって、ホアン・シュアンの世話を焼いてくれたのは祖母でした。

詳しい事情は分かりませんが、のちに父親はホアン・シュアンに「ホアン・シュアンのために離婚して北京で働く道を選んだ」と語っているようですので、単なる夫婦間の性格の不一致というような問題ではなく、息子の将来を考えてのことだったのかもしれません。

しかし、父を失ったホアン・シュアンの中学にも行かず、街をフラつく日々だったとか。

マイケルジャクソンに憧れて、舞踏が専門の中学高校一貫校へ。

恋愛話で「最初の恋人は先輩だけど1つ年下」という話が出てきたりするので、中学に春嶽する前にブランクがあるのかもしれません。

住む場所を転々として学校を変わることも多く、友達もあまりできなかったようです。

ホアン・シュアンに漂う愁いは少年期に端を発するのではないかと勘ぐらずには居られません。

 

黄家は名門で祖父は日本に留学経験あり!


ホアン・シュアンのお父様、よく似ています。

 両親の離婚で父を失ったために少年時代は経済的にも厳しかった用ですが、家時代は名門の家柄だったようです。

ホアン・シュアンの祖父・黄文中(ホアン・ウェンジョン)氏は民国6年、師範大学を卒業後、自費で日本に留学。明治大学で経済を学び、中華革命党の活動にも参加。

帰国後はいくつもの大学や高校で教鞭を執り、当時の軍閥政治を批判して自由民主を唱え“民主の闘士”と称えられた人でした。

父親の黄雁平氏も北京で有名企業の中間管理層を務めるうちに常夢さんという女性と知り合い、高所得の仕事を辞めて常夢さんと一緒に公益事業を興し、シングルマザーのための福祉活動をしていたといいますから、いずれも志の高い人だったようです。

ホアン・シュアンが北京の大学に進学してからは、黄雁平氏と会って食事をしたり、黄雁平氏が大学を訪ねることもよくあったようです。

しかし黄雁平氏はホアン・シュアンが20歳で在学中に、52歳の若さで死去。

ホアン・シュアンにとっては大きな打撃だったようで、今でも父親の話は涙なしには語れない様子。

親孝行ができなかった悔いをトーク番組などで語っています。

 

ダンサーの道から俳優の道へ

若き日のホアン・シュアンのダンス

勉強嫌いのホアン・シュアンは勉強中心でない生活に満足し、ダンスもメキメキと上達しましたが、高校3年の頃ケガをして半年ほど寝たきりの生活に。

DVDを見て過ごすうちに俳優への憧れを抱くようになります。

演劇の殿堂、北京の中央戯劇学院を目指しますが不合格、1年浪人してもまた不合格。

しかしダンスの名門北京舞踏学院に合格し、ミュージカル科へ進学し、ここから彼の俳優への道が始まりました。

 

俳優デビュー後も鳴かず飛ばずの苦難の道のり


「紅高梁」でジョウ・シュンと。

大学に入ったばかりの頃、チャン・イーモウ(張芸謀)の映画『王妃の紋章(原題:満城尽带黄金甲)』への出演話が舞い込みます。

チョウ・ユンファ(周潤発)とコン・リー(鞏俐)を父母とする王子の役というオファーでしたが没に。

ジェット・リー(李連杰)主演の映画『海洋天堂』ではジェット・リー演じる父親の自閉症の息子のという難しいながらも重要な役どころで、養護学校に通い水泳特訓をするなどの役作りに励んでいたのに、これまた没。

その後も役に恵まれず、恵まれてもカットされたりと不遇の日々が続いていました。

ちなみに私が初めてホアン・シュアンを見たのは2010年放送のドラマ『紅楼夢』でした。

薛宝釵の従弟・薛蝌役で出番は後半のみでしたが、初々しさの中にも安定した芝居の基本が感じられ、「これは!」と思ったものの、世間ではさほど話題にもならず、2014年放送、ジョウ・シュン(周迅)と共演したドラマ版の『紅高梁』でやっと「国民の初恋」と呼ばれるように。

また『推拿』では作品自体がベルリン国際映画祭で金熊賞・銀熊賞を受賞したこともあり、盲目のマッサージ師を演じた彼の演技も注目を集め、この年には中国のドラマアワードで飛躍のめざましい男優に与えられる賞を獲得しています。

その後はドラマ『羋月伝』『女医・明妃伝』『私のキライな翻訳官』などで日本でも徐々に知られてきています。

 

趣味の旅行や書道で精神性を磨く

少年時代の放浪癖の名残か、今もホアン・シュアンは旅行が好きだそうで。

それも大名旅行ではなく、バッグパック1つ背負ってふらりと出かけるシンプルな旅が好きだとか。

また、もう1つの趣味は書道。

書生のイメージが強いホアン・シュアンですが、実際、文人的なところもあるんですね。

ホアン・シュアンが書道を始めたのは6,7年前のこと、いろいろうまくいかず仕事もない日々に、家でやることもないので何かしようと思い、偶然通りかかった文具店で筆、墨、硯のセットを20元で買ったのがきっかけだそうです。

家に帰ってさっそく書いてみると心が静まり、それ以来、続けているのだとか。

一種のリラックスや休息にもなるので、どこへ行くにも文房四宝は持ち歩いているそうです。

撮影の現場でも空き時間には書を書いて、監督に贈ることもあるそう。

もちろん、今は先生についているそうですが、かなりの達筆です。

中国の俳優は時代物では詩を詠んだり、文を書いたりするシーンが多いので、自分でかけたらいいですよね。

そういえば『紅楼夢』に出演した俳優たちは撮影が始まる前に書道も練習したと言っていました。

不遇な時代も書道や旅行で自分や世界を静かに見つめることで、精神性を養ってきたのでしょう。

こういう引き出しは、必ず演技ににじみ出るものですよ。

まとめ

「小鮮肉」という言葉が生まれた数年前には「なぜこいつが?」と思うような俳優がもてはやされたりしていました。しかし、最近は露出度も減っていたりします。

不遇な時代もあったものの、これからは息の長い俳優として、ずっと活躍し続けていく人だと思います。

ホアン・シュアンは書生然とした、たたずまいはもちろんですが、声が素敵なんですよね。そしてダンスをしていたせいもあると思いますが、立ち姿や動きがきれい。

いずれも役者として重要な要素だと思います。

ますます、応援しちゃいます。

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